日本を美しくする会30周年を記念して

京都掃除に学ぶ会の母体である、「認定NPO法人日本を美しくする会」は、2023年で30周年を迎えます。

記念に際して、京都の世話人で「お掃除を通じて学んだこと、感じたこと」などの体験談を寄稿しました。

その寄稿文をこちらで紹介させていただきます。


「掃除を通しての出会い

田中智康(京都掃除に学ぶ会 全体補佐)

 

2012年1月、私は知人からの誘いで吉田神社のトイレ掃除に初参加しました。最初は素手でトイレを掃除することにとても迷いがありました。しかし、いざトイレ掃除が始まると、いつの間にか無我夢中になって便器を磨いていました。掃除が終わると場の空気が清々しいものとなり、私の心の中もつかえたものがストンと落ちた清々しい気持ちとなったことを今でも覚えています。

その後、月例会、京都の繁華街木屋町を掃除する京都新洗組に参加しました。

 

仕事が忙しく掃除に行けない時期がありました。そんな時、鍵山秀三郎相談役、の「人を喜ばせるために自分の手足を使う」という言葉を思い出しました。私は「少しでも自分にできることで人を喜ばせることを実践していこう。掃除にもっと真剣に取り組もう」と決意しました。掃除と真剣に向き合った結果、お掃除仲間の皆様とのご縁が一層深まっていきました。特に長年リーダーをされている山本保弘さんから掃除の方法だけでなく、掃除を通じて気づきを大切にすること、感性を磨くこと、陰徳を積むことなど、人として正しく生きる道筋を教えていただきました。

 

お掃除仲間の皆様は活力に溢れています。そんな素敵な方々と時間を共有できる土曜日の朝はかけがえのない日でもあり、共に学ぶことのできる日でもあります。鍵山相談役の言葉である「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」は、「ひとつ実践を積めばひとつだけ変われる」そのような意味が込められているような気がします。考えるだけではなく、実践の積み重ねが自分の生涯の財産である経験につながるのだと実感しました。

 

 

 私はこの10年、お掃除仲間の皆様と出会いのおかげでここまで成長することができました。まだまだ道半ばではありますが、初心を忘れず掃除から多くのことを学び、実践を積み重ね、人の喜びのため日々精進してまいります。

「木屋町の掃除を通して学んだこと」

山口晃平(京都掃除に学ぶ会 会計担当)

 

私は、4年程前に職場の人から誘われたのがきっかけで、掃除の活動に参加させて頂くようになりました。京都では毎週木屋町という場所を街頭清掃していますが、最初の頃は1ヵ月に一度程度しか参加しておりませんでした。木屋町は京都市内でも一番の繁華街で、特に喫煙所は吸い殻やラードでとても汚く、最初は喫煙所の清掃をためらっていました。

 

しかし、長年、掃除をされている戸田紳司さんから掃除の作法だけでなく、チームの協力の仕方、自分が掃除をした場所は誰も気づかないけど自分だけが知っているという喜びがあることなど、様々なことを教えて頂きました。そして、それだけでなく自分の生き方というものも教えて頂いていることに気づくことができ、強く感銘を受けました。

 

徐々にではありますが、自分も掃除に学ぶことの意味を気づくことができるようになり、今では毎週欠かさず喫煙所を清掃させて頂き、掃除に学ばせて頂いております。

 

また、掃除を通して知り合った方々は、皆さま素晴らしい方ばかりで、毎週一緒に掃除をさせて頂くことで活力を頂きながら、人として何が大切かということを学ばせて頂いております。掃除をすることで、地道に続けることの大切さ、微差でもその積み重ねが大差になることを体感しております。そして、自分の仕事においても、挨拶や立ち居振る舞いなど、もっとも平凡なことを折り目正しく素直な心で実践することが大切であると気づくことができ、実践を心がけることができるようになりました。

 

まだまだではございますが、これからも「掃除に」学ばせて頂きたいと思います。

「お掃除で“感性”を磨く」

秦由見子(京都掃除に学ぶ会 広報担当)

 

初めてお掃除に参加したのは、2016年夏の鞍馬寺の公衆トイレでした。

 

最初は素手で掃除をすることに躊躇していましたが、気がついたら夢中になっていて、掃除後、心の中につかえていたものがなくなったような清々しい気持になったのを今でも覚えています。それから月例会だけでなく、京都新洗組や全国大会などにも参加するようになり、掃除に学ぶ会の方たちと関わる機会が増えていきました。

 

ある小学校での月例会で、参加者を誘導するため校門で立っていた時、当時代表をしておられた前田さんが、落ちていた数枚の落ち葉を拾い集めて「ちょっと、こうするだけで全然違うでしょう」と、声をかけてくださったことがありました。たった数枚の落ち葉を拾っただけで、その場の空気が変わる。その時に「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」という相談役の言葉を教えていただきました。

 

大きな変化は小さな変化の積み重ねにあります。鍵山相談役と一緒にお掃除をした経験はありませんが、掃除に学ぶ会の方たちと過ごす何気ない瞬間に、様々な学びがちりばめられていて、まさに“背中で語る姿”をたくさん見てきました。人から教えてもらった知識は、実践して経験しないと自分の血肉になりません。みなさんが、どれだけ多くのことを実践してこられたのか、その行動や言葉の端々から伝わってきます。掃除の会が魅力的なのは、役割やポジションに依存することなく、自分自身を拠り所とする“在り方”を大切にされている方が多いからだと思います。

 

これからもお掃除を通じて、広い視野を持ちつつ、小さなことにも気を配れる感性を磨いていきたいです。

「私にとっての『掃除道』とは」

時政和輝(京都掃除に学ぶ会 7代目代表世話人)

 

 

京都掃除に学ぶ会の活動に参加し始めて9年目になります。

一番の学びは、掃除が人の心を豊かにすることを実感できたこと。京都新洗組の活動拠点である木屋町の風景は、私が参加した頃とすっかり変わってしまいました。その度ごとに掃除仲間や地域の方の協力があって、継続することができています。わざわざ土曜の早朝に一番汚いところをきれいにしようと、例外なく継続してきたということが、人の心を動かし、荒みを和らげ、たくさんの感動を生んできたことを経験しました。掃除道の根底にある「自分のことは後にして、人のことを先にする」という教えが、いつも良い方向に導いてくれたのではないかと思います。街頭清掃を続けてきたことが回りから認められ、地域に根付いていきました。イベントの際にも「新洗組がいるから!」とあてにして下さり、大変有り難いことです。

 

鍵山先生が始められた掃除の活動が、「掃除道」と呼ばれるようになったことに深い意味を感じます。しかし、私がやっている掃除がそのまま「掃除道」と呼ぶにふさわしいか反省します。「道」は単に、テクニックを知っていたり、一芸に秀でていたり、長くやっているということではなく、人格に深く落とし込まれ他者に感化を与え得るものです。

 

 儒教の経典の一つ『中庸』の冒頭部分にこうあります。「道は須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり、離るべきは道にあらざるなり。この故に君子はその睹(み)ざる所を戒慎し、その聞かざる所を恐懼す」。「道」であるならば、そこから少しも外れることがない。だから、人が見ていないところでも慎み深くいる。掃除が「道」に高められれば、少しも「道」から外れないようでなくてはいけません。しかし、つい傲慢になったり得意になったりする心が出てきます。私にとっての「掃除道」とは、私自身の心を磨くことを通して、私のいる場をきれいにしていくことです。まだまだ「道」半ばですが、「慎独」を忘れず精進いたします。 

 

 

「お掃除と生きたい」

前田佳織(京都掃除に学ぶ会 6代目代表世話人)

 

 「いつもどこかで、誰かに助けてもらって生きている」

 と感じるようになったのは、お掃除を始めてから。

 

 ずっと「私が頑張って生きている」と思っていました。

3人の母となり、ちゃんと出来ない自分を、めっちゃ足りないところを、お掃除に教えていただきました。

本当に感謝をしています。

 

 京都には、月例会と新洗組という街頭清掃があります。新洗組は学生が隊長になって進めています。若い人が素晴らしいことに気付かされ、こんな素敵な子たちと出会うことが出来て、一生のご縁にしたいと思う若者がドンドン増えるのは、すっごくしあわせです。一緒に活動ができることに毎週しあわせを感じています。時々、就職で東京に行ったり、結婚で京都を離れた子たちが帰ってきて、お土産を片手に(笑)、「こんなふうに帰ってくる場所があって良かったです」と、なんともうれしそうに語ってくれはる。そんな時思う、「ここはいつ来ても変わらへんねんなぁ」と、思ってもらえるように続けていたい💓

 

 私も今58歳。あと福井さんの歳まで25年。まだまだ頑張れそうです。大先輩に助けてもらい、若いかわいい後輩に助けてもらい、今があります。こんな素敵なご縁は、お掃除をしていなかったら出来ていないです。

 

 だから私は、お掃除と生きたい。

 あの14年前の、京都の全国大会の後、鍵山相談役と一緒に京都グランヴィアホテルのラウンジで、いちご🍓のショートケーキ食べた日からはじまりました。

 

 まだまだ、続けます。

「私の願い」

加藤陽一(京都掃除に学ぶ会 5代目代表世話人)

 

 トイレ掃除との出会いは、今から数年前になります。あるセミナーで、一人で3ヶ月トイレ掃除体験をしているうちに、トイレ掃除のすばらしさを体験しました。毎日会社のトイレを掃除すること、たとえ旅行に行った時も、ホテルのトイレを掃除していました。自分で決めた目標と、古びた便器がきれいになっていくにしたがい、いつしかその便器たちにあいさつをするようになっていました。「おはよう、小ちゃん、大ちゃん」と。そのうち、便器たちは私を待っているかのように思え、便器が返答してくれるようになりました。「きれいにしてくれてありがとう」と。そして、掃除しているときが、私の心を清らかにしてくれることに気が付くようになりました。何か、問題があったとき、苦しいとき、便器を磨いているとどんなことも解決できるように思えました。

 

 「継続は力」と言います。この前、ある友人が「継続は徳」と言いました。見えないところで、人のためにしている姿は尊く、その人はいつしか「徳」を積んでいると言う彼の言葉に私はうなずきました。私の人生の師、鍵山秀三郎さんは次のように言っておられます。

「人間の心は、そう簡単に磨けるものではありません。ましてや、心を取り出して磨くなどということは出来ません。心を磨くには、とりあえず、目の前にあるものを磨き、綺麗にすることです。人の嫌がるトイレ掃除を永年続けていると、知らぬうちに心が磨かれ、浄化されてきたように思います」

 

 昔、PTAをしている頃、生徒、先生、保護者そして、地域の方々でトイレ掃除が出来たら素晴らしいなと思いました。その頃は、学校のトイレをお借りして私たち大人が10数人でしていました。出来るまでは大変苦労もしましたが、その当時、門川市長が教育長をされており、その願いを実現してもらいました。またその後、木屋町で、学生を中心に街頭掃除する「新洗組」も出来ました。

 

 掃除をすることは、気持ちのいいものです。理屈ではないです。掃除をしている仲間に争いはないです。掃除をしている人は、思いやりがあると信じています。そして、いつしか私たちの歩いた後にはゴミはなくなり、きれいな花が咲くことを信じています。

「世の中うまくいかないから学びがある」

戸田紳司(京都掃除に学ぶ会 4代目代表世話人)

 
 事前に予測しきれないことが起こる時がある。
鍵山掃除道をはじめて3年目。京都の年次大会のヒトコマ。ある年、市内のA中学校が掃除実習会場。私は掃除実習の実行委員長の役目を担っていました。運営メンバーと共に周到な準備をして臨みました。が、起こる時には起こるものです。あろうことか、当日の朝、学校へ行くと、学校の正門前敷地内に車が乗り捨てられるように駐車されていたのです。学校敷地内なので、車を撤去できない事態が起こりました。
学校側も大慌て。警察も私有地なので駐車違反でレッカー移動できないとのこと。持ち主にも連絡が取れない。だんだんと周辺地域に大渋滞が起こりはじめた。私は怒り心頭で血が上っている。その時に、参加者の一人が私にささやいてくれた言葉。
「戸田さん、世の中思うようにいかへんから学びがあって、おもしろいんやで!」
「みんなで対応しよう」
他府県からの参加者も「そやな」と言って、笑顔で周辺地域や渋滞に巻き込まれている運転手に事情を説明しはじめました。参加者の相当数が事情説明に力を貸してくれる状況にまでなった。大渋滞をしているのに、パニックにならない。みんな冷静だ。ひょっとしたら、一番イライラしているのは私だったかもしれない。
警察が家までいって、持ち主を連れてきてくれた。当事者いわく、飲酒運転で危険だと感じ、学校内の空きスペースに駐車をして帰宅した、と……。嫌がらせでもなく、とっさに考えた行動らしい。素直に謝ってくれた。後は警察の指導に任せ、年次大会の掃除実習は遅れながらも無事終了。
私が学んだこと。
起った事実に対して、その時どう捉えてどう動くか。
「そんなことはあってはならん!!」と正義感で怒り心頭、動転していた私。
「世の中うまくいかないから学びがあって、おもしろい」と即座にポジティブ思考で、対応した鍵山掃除道の仲間たち。この体験以降、「世の中うまくいかないから、学びがあっておもしろい!」という物事の捉え方ができるようになった。瞬間に気持ちをリセットし、ゆとりを生み出せるようにもなってきた。
鍵山掃除道「に」学ぶという価値観があるからこそ、身につけられた力だ。

「凡事徹底は生きる覚悟」

山本保弘(京都掃除に学ぶ会 3代目代表世話人)

 

  平成534歳の時、母が亡くなりました。道をさまようこと1年。兄の勧めで鍵山掃除道に出合いました。平成63月。毎朝6時、会社にて一人、心磨きのトイレ掃除をするようになりました。

 

それから5年後、青年塾にて鍵山秀三郎様より直接ご指導頂きました。まず、最初に左手でガシッと便器をつかんで下さい。今までも素手で掃除をしてきました。しかし、最初に便器をしっかり握ることで嫌でも覚悟ができてしまいます。「今から便器を磨く!」大げさな話ですが、この行為こそが、生きる覚悟を決める全てに感じました。そしてここから始まるのが、そこまでするか!の掃除。

 

こびりついた汚れを何百回もこする。あの手この手の道具で汚れが落ちるまで試行錯誤を続ける。広くではなく、目の前の1点を集中して磨く。この教えは人生をどう生きるのかという生き方のスタンスそのものでした。

今まで広く浅く生きてきやしなかったか? こんなにも一つの事を深く掘り下げて生きてきたか? 毎朝、便器を握るたびに生きる覚悟を思い出しましたた。1度きりの人生をどう生きるかを真剣に向き合って生きてきたか? それは、自然と人生を豊かに生きる達人への道しるべでありました。

 

鍵山様から「体はいくら大きくしようと努力しても3mや4mにはなれません。しかし、心は心がけ次第で天より高く空より広く、海より深くなることができます」と教えて頂きました。ああ、そうか、何のために掃除をするのか? これが答えだ、と。鍵山様からは、ものの考え方、生活の立ち振る舞いもたくさん教えて頂きました。きっと亡き母が天国からご縁を繋いで下さったのだと手を合わせております。鍵山様はじめ、日本を美しくする会の皆様とのご縁を心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

私達の仲間のご紹介

全国に私達の仲間がいます。日本を美しくする会や全国の掃除に学ぶ会のホームページです。

 

 ↓ クリックすると各地の掃除に学ぶ会に繋がります。